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東京地方裁判所 昭和46年(行ウ)168号 判決 1973年5月16日

東京都港区芝公園八号地二総評会館内

原告 市川誠

<ほか二一名>

右訴訟代理人弁護士 東城守一

同 渡辺正雄

同 田原俊雄

同 山本博

東京都台東区西浅草二の二〇の一

被告 渡辺真言

<ほか八名>

右訴訟代理人弁護士 岩松三郎

同 兼子一

同 藤井暹

同 畔柳達雄

同 若林信夫

被告 国

右代表者法務大臣 田中伊三次

右指定代理人 近藤浩武

<ほか四名>

右当事者間の診療義務存在確認等請求事件につき当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原告らの本件訴変更前の被告渡辺真言ほか八名(別紙当事者目録(二)記載)に対する訴を却下する。

原告らの訴変更後の請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の申立

一  原告ら

(一)  訴の変更前

原告らが別紙当事者目録(二)記載の被告渡辺真言ほか八名(以下単に被告渡辺真言らという。)にたいして健康保険法四三条一項の診断、薬剤または治療材料の支給、処置、手術その他の治療などの療養給付請求権の存在することを確認する。

被告国は、被告渡辺真言らにたいして右の療養給付をなすことを指示せよ。

訴訟費用は被告らの負担とする。

(二)  訴の変更後

被告らは連帯して各原告に対し金一〇万円を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

二  被告渡辺真言ら

(一)  変更前の訴につき

原告らの本件訴を却下する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

予備的に

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

(二)  訴変更後の請求につき

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

三  被告 国

訴の変更前ならびに変更後の請求につき

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  原告ら

(一)  訴の変更について

後記請求原因のとおり、原告らは、いずれも健康保険法の被保険者であり、保険医療機関と保険医に対し療養給付の請求ができる立場にある。ところで、変更前の本件訴は、被告渡辺真言らが違法に保険医の辞任をし、また、これを容認した国の行為により、原告らが被保険者として保険医たる右被告らに対して有する診療などの療養給付請求権を害されているので、その回復を求めようとするものである。したがって、そこでいう請求の基礎とは、右診療義務存在という法律的主張を構成する以前の前法律的状態、すなわち昭和四六年七月一日より同月末日までの保険医総辞退をめぐる被保険者の利益紛争をさすのである。

しかるに、本件訴訟係属後の昭和四六年七月末日で右保険医総辞退の事実が消滅したので、原告らは本訴を前記診療義務不履行により原告らが被った損害の賠償請求に訴の変更をしたものであって、その前後を通じ請求の基礎に変りはないのである。

(二)  請求原因

1 原告らは、いずれも健康保険法の被保険者として保険医療機関と保険医に対して療養給付の請求ができる就業労働者である。

被告渡辺真言らは、いずれも東京都医師会の役員たる医師であり、昭和四六年六月三〇日現在において健康保険法四三条の五に定める保険医として登録されていた者であるが、同年七月一日以降同月末日までの間保険医を辞任したと主張し、右法律に基つく診療を拒否していた。

被告国は、健康保険の保険者として、同年六月三〇日現在において被告渡辺真言らと健康保険法の被保険者のために同法四三条一項所定の診療、薬剤または治療材料の支給、処置、手術その他の治療などの診療給付を行なう契約を締結し、厚生大臣は右被告らに対し診療について指導する地位と職責を有するものである。

2 憲法二五条は、すべての国民に健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を保障しており、国民が疾病に罹患したとき、平等にして安価な費用により必要かつ十分な療養をうける機会を保障することは国の義務として憲法二五条二項の命ずるところである。

健康保険法その他の医療社会保険制度は、憲法二五条の右理念をうけてその法律が制定、運営されなければならないのである。それゆえに、健康保険法は、政府および公法人たる健康保険組合を全一的な保険者とし(同法二二条)、すべての就業する国民を被保険者として強制加入させ、法定の保険料納入を義務づけるとともに(同法一三条)、被保険者が法の指定する保険医療機関において登録された保険医師の診療等の具体的給付を請求する権利を保障した(同法四三条)のである。したがって、国民の診療などを求める権利は、生存権の重要な支柱をなすものであって、何人といえども恣意的にこの権利の実現を阻むことは憲法の前記趣旨に反するものであって許されない。

3 就業する国民は、強制的に健康保険に加入させられるのであるから、政府および健康保険組合は、保険者の責任として被保険者たる国民がなるべく安価で容易に疾病等の治癒の機会を得ることができるように具体的な配慮をする法律上の義務がある。

医師法は、医師の職業的地位の発生を厚生大臣の免許の対象とし(同法二条)、医師の任務を「医療及び保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するものとする。」と定め(同法一条)、診療に従事する医師は、診察治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければこれを拒んではならない(同法一九条一項)公法上の義務を負うものとされている。右は、いずれも医師の職業に内在する社会的責任に着目して国民生活全体の利益を保障するため定められた医師の法律上の義務を規定したものである。

健康保険法は、保険医療機関あるいは保険医の制度を設けているが、その指定と登録につき都道府県知事は原則としてこれを拒否してはならないものとしている(同法四三条の三、同条の五の各二項)。この趣旨とするところは、医師の前記社会的責任を具現するために自ら保険医療機関あるいは保険医となろうとするときは、これを容易ならしめることによって広く保険制度上の施設と人材を集結して被保険者である勤労大衆とその家族を疾病の苦難から救うことを目的としたものである。したがって、国(政府)および保険医療機関として指定をうけた病院、診療所ならびに保険医として登録された医師は、連帯して被保険者たる国民に対して診療を行なう社会的責任と法律上の義務を負うものといわなければならない。(ちなみに、前記指定、登録の法律上の性質は、これを公法上の第三者のためにする診療契約であると解する。)

4 健康保険法四三条の一一は、保険医として登録された医師は一か月以上の予告期間を置いて登録抹消の請求をすることができるとしているが、保険医の辞退についてはこれ以外に触れるところがない。しかし、他に明文がないからといって、保険医の地位を一旦取得し、前述のごとき社会的責任と法律上の義務が発生したのちにおいて、当該医師の恣意により保険医たる地位を自由に離脱することが許されるものとは到底解し難い。このような保険医登録抹消の意思表示は、憲法、健康保険法、医師法の公序に違反し、かつ、健康保険制度についての社会通念上の善良な風俗にも違反するのみならず、その辞退の申立自体権利の濫用であって許されない。

5 昭和四六年七月一日から同月末日までの保険医の総辞退は、東京都においては被告渡辺真言ら東京都医師会の理事が理事会決定としてその統制力を行使し、その加入保険医に対して保険医辞退を指示し、これに反する者は同医師会を除名ないし退会勧告をも辞さない旨を告知するなどの方法により、集団的組織的に実行したものである。

また、被告国は、保険者として保険医に対する指導行政に当るべき立場にありながら、被告渡辺真言ら東京都医師会理事と前記保険医総辞退につき合意し、これを容認した。

6 原告らは、右総辞退によって被保険者として診療をうけるために同年七月一日から同月末日までの間いずれかの公立病院または保険医を辞退しなかった医師を探して受診するなど多大の時間と労力を費さなければならない破目に追いやられ、健康保険法四三条に保障された療養給付請求権の行使を甚だしく侵害された。被保険者として保険医療制度発足以来このような不安定な事態に陥しいれられたことはなく、その精神的苦痛は甚大であるので、その慰藉料としては原告各自に対し金一〇万円が相当である。

そして、右は前記のごとく被告渡辺真言らと同国との共同不法行為によるものであるから、同被告らに対しこれが連帯支払を求める。

二  被告渡辺真言ら

(一)  訴の変更について

原告らの本件訴の変更は請求の基礎に変更をきたすものであって許されない。すなわち、原告らの従前の訴は、原告らが被告渡辺真言ら保険医に対し健康保険法四三条の療養給付請求権を有することを前提としてその請求権存在の確認を求めるものであったのに対し、変更後の訴は、東京都医師会の理事である右被告らが東京都内の会員医師に対して保険医を辞退させたとして損害賠償の請求をしようとするものであるから、前者は同被告ら自身に保険医として療養給付の義務があることを主張するものであるのに対し、後者は被告ら以外の医師に療養給付の義務があることを理由として被告らの行為を問責するものであって、両者は全く別異の社会的事実であり、請求の基礎を異にするものである。

(二)  変更前の訴に対する本案前の抗弁理由

健康保険法四三条に定める療養の給付は、同法の定める保険給付の一であり、同法一条その他の規定からその義務者が保険者であることは明らかである。保険者でない者に対する療養給付を受ける権利の存在しないこと多言を要しない。

健康保険法の保険者は、国および健康保険組合であり、被告渡辺真言らではないのである。本件訴は存在しないことの明らかな権利について確認を求めようとするものである。

さらに、同法四三条の療養給付の具体的請求権は、疾病、傷害等の保険事由が生じてはじめて発生するものである。しかるに、原告らが疾病、傷害等に罹患して具体的な保険事由が生じたこと、または原告らが被告渡辺真言らに対して医療行為を求めたことについては何らの主張もないのであるから、本件訴は確認の利益を欠くものである。

これを要するに、原告らの本件訴は、具体的事件を離れて原告らと右被告らとの間に健康保険法四三条が適用されるべきであるという抽象的法規の内容につき確認を求めようとするものであって、即時確定の利益を欠く不適法なものであるから、却下されるべきである。

(三)  請求原因に対する認否と主張

1 同1項のうち、被告渡辺真言らが健康保険法の保険者たる国と原告ら主張の診療給付を行なう契約を締結したことは否認し、国が右医師らに対し診察について指導する地位と職責を有する点ならびに健康保険の被保険者が保険医に対して療養給付請求ができるとの点は争い、その余の点は認める。

2 請求原因2、3項のうち、原告ら指摘の法条がある点は認めるが、これらを引用した原告らの法律的見解は争う。

3 請求原因4項のうち、健康保険法四三条の一一が保険医として登録された医師に辞退の自由を認めた規定であることは認める。辞退の意思表示には何の理由も要しないし、その他特別の制約事由も存しない。同項のその余の点は争う。

4 請求原因5項は否認し、同6項はいずれも争う。

5 被告らの主張

(ア) 被告らは、健康保険制度の抜本的改正を怠った政府に対し、医師として合法的に抗議するため健康保険法の定める保険医の地位を離脱したのであり、それは各医師の自由意思によるものである。その方法としては、保険医の登録抹消を求めるをもって足り、あえて保険医療機関を辞する必要がなかったからである。そこで、昭和四六年六月末日かぎり保険医を辞するため同年五月末日東京都知事に対し同年七月一日付で保険医の登録抹消を求める旨の保険医登録抹消請求書を提出した。これにより、登録が抹消されているか否かにかかわりなく、予告期間を経過した同年七月一日以降被告渡辺真言らは保険医たる地位を離れた。

しかし、その後、同被告らは健康保険法四三条の五の規定により保険医の登録を受けるべく東京都知事に対し同年八月一日付で保険医登録申請書を提出し、現在は保険医の地位にある。

(イ) 右被告らは、保険医を辞退した期間中も、健康保険組合の組合員その他の被保険者に対し診療行為を拒否したことはなかった。

三  被告国の請求原因に対する認否

(一)  請求原因1項のうち、原告市川誠、同兼田富太郎、同酒井一三、同松尾喬、同大木正吾、同秋山実、同蛯谷武弘、同井口澄雄、同近藤一雄が政府管掌健康保険の被保険者であることおよび同人らが保険医療機関において療養給付の請求ができる点は認めるが、保険医に対して療養給付の請求ができるとの主張は争う。

同項のうち、その余の点は認める。

(二)  請求原因2項のうち、すべての就業する国民を被保険者として強制加入させているという点は否認し、その余の点は認める。

同3項のうち、原告ら指摘の法条がある点は認めるが、これについての原告らの法律的見解は争う。健康保険法による保険医療機関あるいは保険医の指定と登録に関する法の趣旨は医師法上の社会的責任とは無関係である。

(三)  請求原因4項のうち、健康保険法四三条の一一の規定が原告ら主張の内容であることおよび本件保険医辞退が被告渡辺真言らの集団的、組織的、一斉保険医辞退である点は認めるが、その余の点は争う。

(四)  請求原因5、6項はいずれも争う。

第三証拠≪省略≫

理由

一  原告らの本件訴の変更につき、被告国は何ら異議を止めずに右変更後の新訴請求につき弁論をしているので、この訴変更に同意したものとみなされるが、被告渡辺真言らがこれを許されないものとして争うので、まずこの点につき検討する。

原告らの本件訴の変更は民事訴訟法二三二条による訴の変更と解されるところ、同法条による訴の変更は両請求の基礎に変更をきたさない場合に限定されており、ここでいう請求の基礎とは、請求を特定の権利主張として法律的に構成する以前の、その基礎となった経済的、社会的紛争関係を指称するものと解されるが、原告らの被告渡辺真言らに対する本件訴変更前の請求は、同被告らが違法に保険医を辞退したことにより原告らが健康保険医の被保険者として保険医たる右被告らに対して有する診療などの療養給付請求権を侵害されているとしてその回復を図るため、同請求権の存在確認を求めるものである。これに対し、変更後の請求は、右被告らの保険医辞退に伴なう診療義務不履行により原告らの被った損害賠償の請求をなすものである(もっとも、原告らは、旧訴においては被告渡辺真言ら自身につき前記療養給付請求権を有することの確認を求めているのに対し、後訴においては同被告らが東京都医師会理事としてその統制力を利用し加入医師に指示するなどの方法により集団的、組織的に保険医を辞退して原告らの右療養給付請求権を侵害したと主張するに至ったことは同被告ら指摘のとおりであるが、右集団的、組織的な保険医辞退者のうちに被告渡辺真言らを含むものであることはその主張自体より明らかであるから、この点は問題とする必要はない。)。

してみると、右新旧両訴は、その請求の当否は別として、いずれも被告渡辺真言らが昭和四六年七月一日から同月末日までの間保険医を辞退したという事実によって、原告らが健康保険の被保険者として保険医たる右被告らに対して有する前記療養給付請求権が阻害されたことを前提とするものであって、本件訴の変更の前後を通じて両訴の間には請求の基礎に変更はないものと認めるのが相当である。

よって、当裁判所は、原告らの本件訴の変更申立を許可する。

二  ところで、本件訴の変更により新訴が係属し、旧訴は取下げられる運命となるが、被告渡辺真言らは前記のとおり本件訴変更が許されないものとして争っているので、旧訴の取下げについて同意しない趣旨であると解すべきであるから、同被告らに対する旧訴の取下げはその効力を生じないことになる。そこで、右被告らの旧訴に対する本案前の抗弁について判断する。

旧訴は、被告渡辺真言らが違法に保険医を辞退したことにより、原告らが健康保険法の被保険者として保険医たる右被告らに対する療養給付請求権が侵害されているとしてその存在確認を求めるものであるが、被告渡辺真言らが保険医を辞退した期間は、昭和四六年七月一日から同月末日までであったこと、その後は再び健康保険法に定める保険医の地位に復帰し、所定の診療等に従事していることは、原告らの主張自体ならびに弁論の全趣旨に照し明らかであるから、原告らの右請求は、被告渡辺真言らの保険医辞退期間が経過したことにより、結局過去の権利関係の存在につき確認を求めることになりその訴の利益を欠く、不適法なものとなったというべきである。

三  そこで、本訴請求(訴変更後のもの)の当否につき判断する。

原告ら主張の本訴請求は、前記のごとく原告らが健康保険法の被保険者として有する同法四三条一項に定める診療などの療養給付請求権が被告渡辺真言らの保険医辞退によって侵害されたことを前提とするものである。しかしながら、右法条による療養給付請求権は、被保険者が具体的に疾病傷害等の保険事由が生じてはじめて発生するものと解されるところ、被告渡辺真言らの保険医辞退の期間中に原告らが具体的な疾病、傷害等に罹患して保険事由が発生し、または、そのために原告らが保険医たる同被告らに対し診療などを求めたことについては原告らより何らの主張もされていないので、同人らが健康保険法四三条一項に定める具体的療養給付請求権を取得した点については結局その主張がないことに帰する。

以上のことから、原告らの本訴請求はその余の点について判断するまでもなくその主張自体理由がないこと明らかである。

四  よって、原告らの本件訴変更前の被告渡辺真言らに対する請求部分は、同被告らの関係でその訴を不適法として却下し、訴変更後の本訴請求を全被告らの関係で失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高津環 裁判官 牧山市治 裁判官 上田豊三)

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